春日山城は、中世の城で紀伊国守護の城「大野城」の支城でした。
「守護所」というのは、紀伊国の現在の県庁にあたるもので、和歌山県の県庁所在地が昔、ここ海南市にありました。(和歌山市に移る前のお話です。)知事にあたる守護大名が海南で紀伊国を統治していました。
その守護大名の城が「大野城」です。(近世でいうと、和歌山城にあたります)この「春日山城跡」からは、守護所跡や大野城跡など大野の里が遠望できます。
大野城主として、もっとも知られているのは、山名義理です。
「井松原合戦」古戦場跡
現在の海南駅付近一帯での合戦でした。
天正五年(一五七七)八月十六日、日方勢(織田信長方)と名高勢(雑賀孫市方)の大合戦が繰り広げられました。春日十番頭もやもえず二つに分かれて戦いました
。 一日の戦いで二百人の戦死者を出すというすさまじい戦いでした。織田信長の紀州雑賀攻めの戦いです。
熊野三山を遥拝したり、休息するところに設けられた九十九王子社中、海南市には五つの王子跡があります。
そのひとつが「松代王子」で春日山にあります。
この「松代王子」付近では、海南特産の古代墨(松煙墨)や硯などが昔、生産されていました。
今、一月二日には、この「松煙墨」を使用した「紀州古代墨席上書初会」が毎年、春日神社で行われています。
ここより、熊野古道を北に行くと「松阪王子」、南に行くと「菩提房王子」があります。